Tomaru Kazuaki Tomaru Kazuaki

葛藤からの俯瞰

人と関わる以上、期待をしてしまう。結果が期待値を超えたり、下回ったりする中で、当事者は葛藤を抱えることになる。

この葛藤こそ、愛おしい。葛藤の中、当事者の視座が俯瞰方向に発達するとき、葛藤が消失することもある。

葛藤から逃げても、同じパターンの葛藤が別の事案で発生する。振り返ると、自身の観察眼のフォーカス性能、感度、画角、そしてミラーの透明度の自在性がより良くなっていくことが葛藤の果実である。

そもそも、期待からの撤退も推奨されるが、僕は違うと思っている。期待するベクトルを関わる全ての人が良くなる方向に向けつつ、当事者の裏切りを含めて包摂するような、長くて広くて深い期待を描き切ることに希望を持っていたい。

こういう期待を持ててる人と相対すると、なにも期待していないかのような印象となり、相手に押し付けたり、放置していたりいるようなリスクも減ると思っている。

ワインブドウの枝継ぎ。枝はどんな葛藤を抱え、結実させているのだろうか。

いろんな事案を引き受けつつ、より良い未来に着地させるためにナイスな期待をデザインしていきたいよな。

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テレワークセンターMINAKAMI返還

2026年3月末日をもって、テレワークセンターMINAKAMIをみなかみ町に返還することになった。

2016年に改修し、2017年から8年間にわたり、運営をしてきた。みなかみ町から委託料などをもらわずに、赤字を垂れ流しながらの運営。学童を引き受け、子どもの居場所事業を立ち上げ、やっと満室にできた!というタイミングで返還することにあいなった。

元は月夜野幼稚園。たくさんの思い出が宿る場所を蘇らせ、活気がある状態に戻せたことを誇りに思う。

ココファム、FLAP、だうぱ、Myfactoryは、ここから生まれた。テレワークという言葉が謎だった時代に始まり、ローカルスタートアップを支えた拠点として役目を果たしたということなのであろう。

関係各所の皆さま、お疲れさまでした。骨を埋める覚悟を問うたSさんにも報告しておこう。

コトハバは、微力を集積する官民共創ジェネレーターとして、ローカルにおける微力を自発・集積し、ソーシャルイシューを解決していく所存である。2025年度は運営しているので、気になった人は遊びに来てね!

とある150年越えの酒蔵の隙間で生きる苔。こけー、むぅすぅーまぁでぇー。

とある150年越えの酒蔵の隙間で生きる苔。こけー、むぅすぅーまぁでぇー。

色即是空。空即是色。

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ダウンしてチルってる

RADIOHEADが好きだ。

彼らとは高校で出会った。拗らせていたボクは、世界の地獄っぷりに目をつぶり、安寧に生きる社会(自身を含む)に嫌気がしていた。そんな絶望感を代弁してくれている彼らに、何かしらの希望を投影していた。

高卒で就職する中、車中はIdiotequeの爆音・ヘビロテ祭り。女・子どもを燃料にして、駆動している資本主義システムのビートでチルっていた。

44歳となり、トムの音楽に久しぶりに触れて思うのは、当時の違和感そのまんまの世界線で悪化が進む中、トムも僕も生き延びているという現実であった。

高天原の天安河で荒ぶる心を鎮めたときに降りてくる直観は大切だ。一方でRADIOHEADの深度まで堕ちて、資本主義エンジンの燃えカス汁の大河にどっぷり浸かると掴める直観も大切にしていきたい。

Idioteque

猿田彦の火渡り。火中に飛び込むのは、女・子どもではなく天狗ファースト。

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地方創生プロデューサーの引き際

地方創生のプロジェクトには3~5年程度で一区切りをするタイミングが来る。それまでに地域プレイヤーの立ち位置を当該地域に実装することが大切だが、そのプレイヤーを自分がやらない場合、つまり、ホームではない地域における地方創生を担う場合の引き際について考えたい。(もちろん、継いでくれた人が当該地域での地方創生を継続する場合のケース)

まず前提は、そもそも地方創生プロデュース業で社員を雇用しないことが大切。本質的な価値を求めてプロジェクト進行する時、来年度の継続を保証できない挑戦が要求されるが、社員を食わすために本質的判断ができないことは避けるべき。コトハバにおける地方創生プロデュース業は代表のみの仕事。

第2の前提は、継いでくれる人が全力を出せば、食べていけるエコシステムが想定されていること。想定するタイミングは、開始前か、1年目の終わりには欲しい。よくこれがない地域おこし協力隊と出会うけど、無駄だし、事態を悪化させるケースを見かける。(本人が超人的に頑張る場合は例外)

次に継いでくれる人と出会うためには、300~500万程度のプロジェクトの一部を候補者と協働し、カネと現実のやり取りを通じてお互いの哲学に触れることが大切。協働してみないと相手のことはわからない。苦しいときや、厳しい現実に直面したときにその人がどのように行動するかを観るべきかと。

また、立場としては、創生するテーマを縛りにしつつ、候補者が志向する方向性をサポートする立場であることも大切かと。自身の想いが先行し過ぎると引き際で引けないぐらい、チームの要になってしまう。かといって、捨て身感がないと候補者と対等に協働してもらえない。

そこで大切になってくるのが、継いでくれる人に規範(僕の場合、ジン”YOHAKHU"であり、”MOOSKA DE STUBEN”など)を示すことだと思っている。自身が理想だと思う方向性のアプトプットを黒子ながら現実に着地させることで継いでくれる人に感動が生まれるかどうかが大切。ほんと、エモい世界戦。また、プロジェクトの進行においては、意思決定において依存が生まれないプロセスで徹底運用することも併せて大切。

あと、メディアに自分が露出することは極力避け、継いでくれる人にスポットライトを当てることも大切。メディアに域外プロデューサーが出ると地域側からの認識が継いでくれる人に向かなくなるので避けるべき。

託すまで3年、継いでもらうまで3年。それぐらいのタイムスパンで進行しながら、いろんな事案を通して、継いでくれる人を見定め、成長を応援し、覚悟を問う機を逃さずに引き際を迎えることになる。

地方創生を20年の計としたときにバトンタッチは必然。継いでくれる人の哲学・美意識はパーソナルなものだから、継いだ以降はその人らしくやるしかない。経済合理性ではなく、美意識・哲学としてのバトンタッチになる以上、自身が取り組む地方創生プロジェクトがその道しるべとなるのかを自問自答する毎日なのである。

まぁ、でも結局、再現性があるものではなく、継ぐと決める意思決定力と、運の良さが大きな要因な気もする。

あまりまとまっていないけど、現場からの雑感は以上になります。はい。

とある現場代理人の本体。黒子に徹し、現場職人のパフォーマンスを最大限引き出していた。

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地方創生が生み出す5層のペルソナ

特定地域でプロデュース業を3年以上継続しているときに最も恐ろしいのは、地域からのルサンチマンだ。

とある地域において、2回ほど開示請求を受けたこともある。ピュアホワイトな行政とのやりとり(契約書、納品物、請求書など)を提出し、もちろん何も問題なかった。

過疎地域での行政上はそもそも利益が出ない構造。儲かるとでも思っているのだろうか...。

疎になることで経済合理性が薄くなっているところに、新しい事業を生み出すわけだから簡単なことじゃない。

地域の微力を集積する営みは、自身のアフターファイブと休日の時間を捧げ、地域内外の方との協働を促進させることになる。地域の多様な課題と向き合い、当該課題に対し、自身が内発的な動機を抱けるかどうかもとっても大切。なんか、僕のことを聖人のように投影する人もいるから、弧を抱えていくことになる。

地方創生事業をやっていると生み出される5層のペルソナを紹介しよう。

  1. 新聞などで形成される聖人ペルソナ
  2. 統計を駆使した脚本に基づくプロデューサーとしてのペルソナ
  3. 大企業の社員としてのペルソナ
  4. 地域で不動産を持ち、事業展開する地域プレイヤーとしてのペルソナ
  5. 地域フィクサーのファミリーとしてのペルソナ

これらを展開されることで、地域からルサンチマンが生み出されるし、打ち消されることにもなる。

新聞などで形成される聖人ペルソナ

地方創生をやっていると、顔出しで新聞とか、WEBメディアとか、TVとかに露出することになる。大抵、美しいストーリーによる役回りの象徴として扱われるので、それをみた人々から聖人のようなイメージで扱われることになる。最初は応援してもらえることが多いけど、3年目以降で事業がうまくいき始めるとヤッカミが生まれ始める。

統計を駆使した脚本に基づくプロデューサーとしてのペルソナ

議会の質疑に耐えうる根拠付きでプロジェクトのマスタープラン(脚本)を作り、謎の慣習に囚われずにプロジェクトを進行してく。主に行政の方から見えるペルソナになる。補助金を融かして、キレイな報告書を作るだけのコンサルが多いので、ちゃんと成果を生み出し、その成果に対して責任を持つことをちゃんと理解してもらうことが大切。志がある行政マンが担当の間はいい感じなんだけど、熱意が低い行政マンが担当になると統計などに基づく根拠を提示し続けることになり、新しいことに注力するリソースが減っていくことになる。

大企業の社員としてのペルソナ

直接担当ではなく、書面上の決済などでやりとりをする行政の人や議員に対するペルソナ。とある企業の名刺を持っていることでなぜか安心してもらえる。不思議である。このペルソナは、住民にはあまり見せないほうが微力を集積していくには良いと思う。

地域で不動産を持ち、事業展開する地域プレイヤーとしてのペルソナ

地域でバリバリ活躍している経営者から見た時に、税金由来の仕事ばっかりしていると「あいつは、行政とうまくやっているだけで云々」と評価され、協働し何かを生み出すというレベルでの関係性構築が難しくなる。そこで、自身でお金を調達し、不動産を持つレベルで地域産業のイチプレイヤーになることが対等に扱ってもらうための秘訣だと思う。経営者たちからは良い評価につながるが、うがった目で見てくる人からはヤッカミをもらう。

地域フィクサーのファミリーとしてのペルソナ

地域には多様な人の集まりがある。その中で、その人のパワーを継ぎたいと思える人と出会い、協働し、信頼を勝ち取り、ともに地域を良くしていくことにコミットしていくことが大切だと感じる。これはいわゆるダンナ文化で、すごく俗人的でユニークだから、一般化は難しい。地域フィクサーがバックにいてくれると、何かを始めるときにあらゆることが応援してもらえるようになる。地域フィクサーを信じている人からは、応援をもらえるのでとても嬉しい。

地方創生で、当該地域に複数年コミットしていくと上記のペルソナが生み出されていく。自分自身の想いはどうであれ、周りが描くペルソナがあった上でのやり取りとなる。

聖人でもないし、コンサルでもないし、大企業でもないし、イケイケドンドンの起業家でもないし、フィクサーでもない、そんな等身大で語り合える人間関係を持てていることがバーンアウトしない最大のポイントでもある。上記ペルソナが剥がれた等身大の都丸一昭と向き合ってくれる人と真の協働ができている気がする。

なので、上記5層ペルソナが剥がれた状態で付き合えている人、これからも仲良くしてください!おねがい、おねがい。

いろんな集積でハートになる。

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メガテンVVを通じたスサノオ体験の輸出

真・女神転生Ⅴ Vengeance、めちゃよかった。主人公は、スサノオと合一し、多様な神と対峙の末、至高天での世界創生に至る。

日本神話におけるスサノオは、禁忌すらも検証する神。高天原でウンコをしたり、馬をぶち込んだりと実践を通じて、「なぜ、禁忌となっているか」を周りにぶつけていった。本作の主人公はいろんな神と悪魔と対峙し、LAWとCHAOSの選択を積み重ねていく。イナザギ、イザナミ、アマテラスが居らず、スサノオが冒険する本作は日本神話を基盤としている。

ドラクエⅢから始まり、たくさんのゲームを通じてより良い未来を選択してきた。メガテンシリーズを通じて、LAWとCHAOSとNEUTRALに揺れながら、タダのヒトとして、現実世界と向き合うことが示され続けてきた。

今回は、ツノを持つ神による輪廻する事象自体を蛇の神由来で再構築することも可能だ。精妙なパラメータをいじると壊れてしまう、わたしたちの世界の因果律。因果律自体を再構築することって一体どういうことなのかがわからないけど、それぐらい世界の行き詰まりは感じているので共感する。重力理論と量子力学が統一されることで見えてくる未来の可能性に由来して、次回のエンディングを構築してほしい。

ツノ神の方向性では、聖女タオがパートナーとなるが、彼女のお花畑的理想主義にヘドが出る。一般的なゲームの王道エンディングの世界観を体現した感じに違和感を感じてしまう。そういうベクトルで世界が進行した結果、現代社会の行き詰まりがあるんだよなぁ。生活圏における安寧を貪って、隣人の闇を見ない人たちをペルソナ化すると、タオになる気もする。タオってのは、道教だから、多様性・バランス・陰陽ばっかり言っているヤツラ。あなた個人を追求していけば、何かしらの属性を持つわけなのに、俯瞰しちゃって初期衝動を無視するヤツラへのヘイトが蓄積している時代なのかもしれない。

総じて、25年前にボロボロになった東京地獄で希望を見出す冒険、いとをかし。

大切なのは、至高天(高天原)で、御霊を鎮め、おのずからの着想を得ることなんだろう。

スサノオを通じた成長譚を他国に追体験させている、メガテンVVは本当に素晴らしい。それぞれがどんな未来を選択するのかをちゃんと向き合ってほしい。ちなみに1週目HARDでシヴァ、人修羅、サタンを屠ったことを報告しておく。

朝焼けと猫じゃらし。死と再生を巡る一年草。

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仕事を通じた継承

生まれたら、確実に死ぬ。意味はない。だからこそ、死ぬまでの”生きる価値”を自分で決める。

僕がヨノナカに揉まれる中で、観測し、想起した「もッとこうなったらいいな。こうしたいな。」というヴィジョンにたどり着けるように仕事をしていく。自身の想起と本質との接続性を維持する。

自身が信仰する価値を仕事に宿し、社員、顧客、地域、関係者、発注者と取引をする。カネというエネルギーを現実に着地させる中で、貸し借りが生まれ、価値観の相互編集が起きる。まさにその瞬間、合意・共感してもらえたわたしの価値が、協働者に継承される。要件定義されていない「?」案件、外乱が起きる案件、理不尽な嵐が吹き荒れる案件の納品は、継承深度が深くなる。

流転する世の中における意思決定根拠を外部化してくれる宗教に頼ることなく、自身の想起と仲間との関係性を軸に決断し、仕事をしていきたい。Individualな”生きる価値”を持つ人と協働したい。

五郎兵衛米焼酎を五斗水で寝かすことに価値を見出す。

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自分の面倒を自分でみれるようになるまで

”じぶん”ってヤツは、謎の生態である。自身を懸けた実践の中、「これでもない。」、「あれでもない。」、「それでもない。」という実感に至り、輪郭を捉えることができる。

しかも実践にも様々な段階がある。捨て身の挑戦が必要な段階、背負いきれないから仲間が必要な段階、コペルニクス的な価値の再構築により独歩するしかない段階なんてのもある。

大切なのは、自分が思っていることと、やっていることと、喋っていることを一致させ続けること。

着想し、仲間に語り、現実化にしたときに、思いが更新される。顕在化された価値観の座標軸における外れ値(違和感、想定外の喜びなど)を観測することで、未知の”じぶん”に至る道しるべを発見できる。

この道しるべを発見したのなら、今度はそこに立脚して、語り、行動し、現実を他者と分かち合うことで、更なる道しるべを得ることになる。

マーケットイン的勇者を目指し、努力した26歳。島津がいたからこそ踏み出せた捨て身の挑戦では、”じぶん”の甘さ、依存性、自律の大切さを知った。気付いてしまったからこそ、独りで始めた30歳。カネと欲望と聖なるものをプラットホーム設計に埋め込み、実装していく日々。”じぶん”が他者の成長に直面することが好きなことや、人間の多面性を理解した。

不惑の40。ぐらぐらに揺らぎながらも、実践で捉えた基盤は定まっている気がする。多大なるご迷惑を家族、社員、仲間たちに喰らわせながら、自覚し、気付かされ、”じぶん”の輪郭がだいぶ見えてきた気もする。未だに謎の生態ではあるのだが...。

謎だらけで、面倒くさい”じぶん”の面倒をやっと自分でみれるようになった気がする44歳。社員、ビジネスパートナー、ご贔屓のみなさんとの関わりの中でお互いに発見し、その喜びを分かち合いたい。

春。ノビル。発見できると嬉しいよね。

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社会課題解決と稼ぐこと

上場を志向している友人から、「それだけ能力あるなら、がっつり稼いでその一部を公益団体に寄付して、社会課題解決(コトハバ)を辞めたほうがインパクトあるんじゃね?」って、何回か言われたことがある。

この問いに即答できず、モヤモヤしていたけど、齢44にして言語化にトライしてみる。

Q「何故、社会課題解決に資する事業活動をしているのですか?」

1点目:寄付先が本質的な社会課題解決活動をやるとは限らないなら、自らもしくは仲間と取り組みたい。

自身でも、子育て期の女性エンパワーメント、子宮頸がんの予防啓発、学童、子どもの居場所事業などの事業主体としてのなんだかんだ言ってのべ10年ぐらい取り組んできた。結局、インパクトの範囲は局所的でしかなく、かつ、その局所での出会いの価値を信じ、最大化するしかない。眼前の事案に手を差し伸べることにこそ、希望があると感じるし、本質的社会課題への接続性を信じることができると思う。 公益法人への寄付が落ちるのは、現場の活動団体。それなら、自らか、仲間とやりたいんだよあなぁ。

2点目:第2宇宙速度を志向する成長宗教には入信できない

とあるチャットツールの創業者が上場後、過疎地にコミュニティを形成しようとしていた。法人からは降りていて、話を聞いていて可哀相だった。規制緩和の機に乗じてめちゃ稼いでバイアウトした経営者が財産をコミュニティに捧げ、コミュニティから疎外されていた。地球から遠ざかるような大きな理想を志向し、内発性との接続ができるような本願を僕は持ち合わせていないので、自身の円環の範囲で人間として生存したい。

3点目:法人の存在価値追求こそが社会貢献

そもそも社会貢献的なヴィジョン・ミッションが埋め込まれていれば、その事業を追求することが社会貢献になる。天候リスク、災害リスク、エネルギーリスク、資源枯渇などの外部環境で生き残るためには、地球資源への配慮は必然。社会との接続を断ち、経済合理性のみを追求している法人はダサいので僕はやれない。

4点目:動脈的でもなく、静脈的でもなく、円環であるべし。

ヴィジョン・ミッションの発想において、円環でないものはダサい。よく動脈的な企業活動を通じて生まれたウンコに対し、静脈的に解決するNPO活動をよく見かける。それって、そもそも地球の循環に組み込めないようなウンコを発生させないような事業活動に転換してほしいなって思う。円環発想で、あり方を決めたいよね。

5点目:社会課題解決は公助を主とし、不足は自助と互助で何とかすべし。

10期を終えて、消費税とかをドカっと払うときに行政に託している感が生まれる。あとは、行政機構の責任で地域課題解決に取り組んでほしい。とはいえ、新規性があったり、未発見の領域においては行政が対応不能なので、自助と互助で何とかして、公助がそれを支える官民共創スタイルに移行するのが望ましい。

以上の理由から、社会課題解決に取り組みながら、事業でも稼ぐ両輪で生きているんだなぁと。

我ながら、ややこしい。協働する仲間たちにわかってもらえるぐらいには言語化していく!のだ。

代掻き後の五郎兵衛新田での日の出

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エヴァに見たオトナ

エヴァンゲリオンが放送された95年、僕は中3だった。辺鄙なところに住んでいたので、リアタイでは観られず、同級生のおうちに行ってVHSで体験させてもらった。

中2病が進行していた僕にとって、エヴァの物語構造の貫通力はすごかった。リビドー・デストルドーに紐づいたATフィールド、スープになって一体化する人類補完計画、シンジが抱える大人への失望など、海馬まで刺さってた気がする。LSLの海をシュノーケリングして泳いでいたと思う。

ロボット、学園、ギャル、SF、恋愛、母体回帰、怪獣、神話、精神分析学...。本当に素晴らしい幕の内弁当だし、観察者の視座によって、浅くも、深くもなるレイヤー構造がすばらしかった。

神話とか、精神分析学のレイヤーでやり取りできるようなオタクの友だちはいなかったけど、いろんな個人のblogなどでそういう記述を見るたびに、ニヤリとしたし、孤独から救われた気がした。「エヴァを作ってくれた大人は、きっと、世界の本質を理解していて、それをアニメという手段で表現しているんだ。世の中には、意味不明なことが多いけど、僕が感じている違和感を持っている大人たちもいてくれるんだ。」って思えた。

25年立ち、『シン・エヴァンゲリオン劇場版 EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME』を見た。インパクトのトリガーになったシンジが、破滅させた地獄のような現実を超えて、リビドーに戻づくエンディングを迎えたのは本当に良かった。

絶叫で世界を終わらせた旧劇から25年たち、ぼくも経営者として現実に絶望したり、希望を見出したりしている。庵野さんから受けったメッセージを基に、リビドー由来の良い未来を事業を通じて後世に示していくことにするわ。

官能的なジャスミンの香り。リビドー感じるよね。

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成長習慣からのジェットソン

自分を勇者だと決めつけて、世の中の不条理を魔王としたとき、ソーシャルビジネスが冒険となった。

20歳の時に直属の上司が自殺したことをキッカケに自身を成長させる生活習慣を実装し始めた。毎朝、出勤で歩く30分で参考書を読み込み、電気主任技術者第二種を取得。帰宅後、22:00~2:00まで参考書に挑み、2年間でSFCへ合格。SFCでは、興味をもてたあらゆるジャンルの授業を選択し、その中で示された書籍を担ぎながら、AIESEC、スペイン舞踊、ベンチャーインターンに励んだ。ひたすら自己成長にパワーを注ぎ込み、いの研との出会い、ETIC.でのインターン、木の花ファミリーとの協働、インド体験、2万人イベントでの悲しみと喜びを経て、26歳で起業となった。

手帳で一日一日を振り返り、気付きを書き込み、明日の予定を脳内で成功イメージに仕立ててからの就寝。睡眠は3~5時間。一日5アポをこなし、移動の電車内でパソコンをひたすら叩く。ボールをすべて相手側に渡し終えたら、会社のホームページ更新や自身のblog更新。無呼吸症候群を発症する30代前半まで、ただひたすらに。

当時の手帳を読み直すと、えづいちゃうけど、ホントいろんな冒険をさせてもらった。勇者たらんと、成長し、たどり着いたのは、ぼくは勇者ではなく、都丸一昭なんだなぁっていうこと。

すげー遠回りをしたけど、20~32ぐらいまでの運動は第二宇宙速度に至るために必要であった。そして、44歳の今、地球からつかず、離れずの立ち位置となると、”成長に資する生活習慣”をジェットソンし、ぐるぐるまわっている。

今の僕に、20代の運動加速力は失われてしまったけれど、逆にそれを継続していった同世代の人たちは身体を壊してしまっている人も多い。

44歳になって思うのは、もっと、”遊び”が必要だってこと。死ぬ気で働くことと、”遊び”の両立を楽しんでいきたいな。そうしないと加速しちゃって、地球から離れちゃうから。

月を望む。ランタンの揺らぎ。

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遍在するペラペラマウンティング

新幹線窓口で並んでいると、客室乗務員の方に、文句を言っている人が多すぎる。

今日も、何かしらのチケットの手違いについて 「学習してる?」 「自信満々だったもんね?」 とか、かましている40代後半の男性Aがいた。ダサい!ダサすぎる!

なんでもっと優しく対応しないんだろう?

とりあえず、Aとは絶対に仕事はしないし、発注先にいたら、チームから外れてもらうわ。

明文化されてるルールに逸脱した事案を発見すると、”切り取り”、マウンティングする人が偏在している。その根本にあるのはペラッペラの正義感なのか、承認欲求なのかは知らんが、現代社会の病理だわ。

経典がない神道がある日本人たちよ、曖昧模糊な泥濘を基盤に据えようよ。

蜜蝋ローソクのすそ野は、どろっどろ。

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地域プロデュース観

プロデューサーとして、地方創生に取り組むことがある。

僕のプロデューサー規範は庵さん。とある村の民宿再生プロジェクトを3年間ご一緒する中でプロデューサーとしての在り方を学ばせてもらった。

  1. アウトサイダーとして、地域のお化け退治をすること。
  2. プロジェクトの完遂後に、地域主体者が食っていける月収を生み出すこと。
  3. 地域に実存する価値をキュレーションし、同時代性のある問いに昇華させること。
  4. 自分なりの答えを持った上で、創発が起きる余白を許容し、プレイヤーを泳がすこと。

今、ふりかえっても珠玉な視点ばかりだ。

アウトサイダーとして、地域のお化け退治をすること。

地域には、何かしらの事案によって、貸借、悲劇、喜劇などが発生し、〇〇さんはこうだ!とか、ここはこうだ!というような地縛霊のような決め付けが溢れている。それらに対し、よそ者として知らずにやっちゃいましたー的なノリで、人口動態に基づく王道の脚本をもって、成仏させていく機能が求められる。アウトサイダーが入ることで膠着がほどけて面白い風が入ることが多々あるよね。

五郎兵衛新田。どれだけの汗と涙が注ぎ込んだのだろうか。

 

プロジェクトの完遂後に、地域主体者が食っていける月収を生み出すこと。

プロジェクトには、納期がある。3~5年程度のアウトカムの集積が、食っていけるエコシステム(ビジネスかもしれないし、指定管理かもしれないし、地域複業かもしれない)につながるように、企画設計を行うべし。地域主体者と出会い、協働し、パートナーとして組まねば、自律自走には至らない。

バトンタッチしたワークテラス佐久の朝

 

地域に実存する価値をキュレーションし、同時代性のある問いに昇華させること。

主体者の命が宿っている製品やサービスが地域にはある。その主体者と協働する中で、同時代性の視座で価値を再発見し、ハッとさせる問いを込めて、アウトカムを生み出す機能が求められる。プロデューサーは、詐欺師と紙一重だからこぞ、言動一致した実体経済こそが、信頼を勝ち得る。

ジン”YOHAKHU”開発チーム。ヒット商品になったぞ。

 

自分なりの答えを持った上で、創発が起きる余白を許容し、プレイヤーを泳がすこと。

地域の生活圏に暮らす有志が内発的動機と関連づいた運動を行いたくなるような舞台装置を建造する。そのうえで、域外の行き交う人との協働事例を一つ一つ生み出した上で、地域内外のプレイヤーの遊泳を見守っていく。linuxの開発プロセスのように、様々な視点を受け入れながらも、深いレイヤーの世界観はぶらさずに、舞台の上のヒーロー・ヒロインにスポットライトを当てる。

修験道の道端。赤い実へのスポットライト

 

上記、4点を大切にしながら、みなかみ町、佐久市、下仁田町、高崎市、小海町、南砺市、熱海市などでプロデューサーとして仕事をした。

すべてがうまくいくわけではないけど、うまくいこともある。翻って、3について、自らがプレイヤーとしてMOOSKA DE STUBENに取り組んでいるので、もっと問いを磨いていこうと思った。実践の中で、発見し、学び、更なる成長と解脱をしていきたい。

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NEW TYPEとネットとSNS

僕が思春期の頃、ガンダムにおいて、NEW TYPEなる概念があった。遠くであっても、相手の状況を知覚できるような能力だった気がする(定義は諸説いろいろあるので、ぼくのうる覚え)が、つながることで戦争がなくなっていく気がしていいなぁって思っていた。

高校の時に、ポケベルが実装され、不思議なテレカで公衆電話をバコバコ叩きまくる毎日が訪れた。

大学の時、スカイプがPC実装され、無料で海外の人とやり取りができて、感動した。さらに、GREE、mixi、facebook、twitterが登場し、身分や、地域や、職業に縛られていたご縁が、興味や価値観をベース接続される体験は、ホント素晴らしかったし、これからの未来に希望を抱けるものだった。

当時は、SNSを通じた価値観をベースにしたマッチングで、志を共にする人間が出会い、協働し、現実をより良い方向に変えていくスピードが増していくことを本気で信じていたこともあった。

翻って、現状はどうでしょう。身体性が希薄な中での、うっすい価値観を基軸にスマホのショート動画がアルゴリズムによってグルグル回り、せまーい蛸壺にハマり、セレンディピティよりも、誹謗中傷がたくさん起きている気がする。つながるよりも、分断が生まれている。

僕が大学生だった時のSNSは、アーリーアダプタばっかりだったんだけど、それだからこそ成り立っていたリテラシーが、現状は通用しない。荒れた公衆便所の落書きみたいなことを応酬してるなって思う。つまらなくなったネットだけれど、それでも、ネットにステキなご縁が生まれる希望は持っていたい。

ので、ステキなご縁を期待して、実践に基づいた気付きを記していこうと思う。おもしれーやつとあいてぇな

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1980年生まれの世界観

生まれたてのヒトは、ただただ”カワイイ”という機能を持ち、重要他者からの世話を受けなければ、生きられないという仕様になっている。結果、重要他者との接触を通じて、世界観を認識していくという初期設定が人類にはある。

オーラルステージを終え、イヤイヤ期を終え、中二病を発症し、社会人2年目あたりまでが世界観を構築する時期とした場合、私のケース。

めちゃめちゃ、端折るけど、私の世界観を構成する3つのキーワードは、「勇者たれ」、「現実の地獄観」、「盟友の存在」。

小学校2、3年の時に、ドラクエⅢをやれたのが、決定的であった。努力して、経験して、ステータスを向上させて、町を転々とし、仲間と出会い、たくさんの職を経て、世界を良きものにしていく。振返るとそのまんま、やってる気がする。

たった一人で、アレルガルドまで赴き、キングヒドラに倒されたオルテガは本当に衝撃的で、一人でなんとかしてしまいがちな僕にとって、本当に大切な教訓をもらった気がする。

日本は平和な感じがするけど、ぼくの目線からするとまさに地獄。中二のときに、サリン事件が起き、阪神大地震が起き、環境問題に罪悪感を抱き、ノストラダムスに怯えているところに、破綻した山一證券が泣いて許されてて、拉致されているのに放置してて、イラク戦争の大量破壊兵器はなかったけど戦争しちゃったテヘッ!に本当に愕然とした。もう、僕らが生きている世は、本当に地獄なんだなって思ったよね。

そんな中で「勇者たらん」とし、SFCに入学し、起業し、いろんな格好良い大人たちが協働してくれる中で、盟友たちが生まれる。挑戦し続ける中で、結果として、家族のような仲間が生まれることもある。

いろんなことを立ち上げ、いろんなヒトと向き合い、いろんなパートナーシップを形成してきた。

いろんな挑戦をして、たくさんの仲間と尊い事案を生み出し、死ぬときの走馬灯で素晴らしい思い出を走らせたいと思っていますわ。

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